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Vol.93 百人一首の暗記に意味はあるの?

 

 本当に多くの私立中学が、冬休みの宿題として「百人一首の暗記」を生徒に課します。年明け後に大会を催す中学もあれば暗記テストを課す中学もあるなど、成果の検証方法は様々ですが、生徒たちは「こんなことを覚えて何の意味があるの?」の大合唱。皆さんのお子さまが同様の不満を口にしたら、どのような返答をされますか。

「覚える意味」の動機はけっして強くない

 私の周辺にいる塾予備校の講師にこの質問をぶつけると、異口同音に「古典の基礎が身に付く。大学受験を考えるなら、そのベースとなる知識としていれておくべきだ」という答えが返ってきます。しかしながら、厳しい中学受験の勉強の末にようやく合格を勝ち取ったばかりの中学生に「大学受験で役立つから」と言ったところでまだまだやる気になるものではありません。むしろ「機械的に覚えさせられた経験」を小学生の間に積んでいればいるほど、中学になってからの拒否反応は強くなる傾向もあるのでやっかいです。「テストがあるので仕方なく覚える」彼らの姿からは、一首一首の意味を感じ取って味わうという姿勢は見受けられないのです(おそらく、かつての自分もそうであったと想像できるので、私には彼らを責めることはできません)。
 次に、大人たちにこの質問をぶつけると、返答として最も多いものは「教養のため」というものです。「百人一首くらい常識として触れておく、覚えておくべきものだ」という意見もあれば「人生を豊かにするものだから覚えておいたほうがいい」という声も聞こえました。これらの意見を否定する気はないのですが、覚えたくなくて逃げ回っている子どもたちを説得する材料としては、決して明快な答えとはいえません。
 ちなみに、自分自身が暗記した(させられた?)ときのことを思い出すと、やはり「テストのため、成績のため」に仕方なく覚えたという記憶しかありません。わざわざ百人一首を購入し、何回かやってみましたが、付属のカセットテープが読み上げる句は順番が変わるはずもなく、何回か遊んでみれば読み上げの順序がわかってしまうので、百人一首の楽しさを味わうこともなく飽きてしまったものでした。そんなレベルだった当時の自分に「将来何かの役に立つかもしれないから」と声をかけたところで、それが能動的に「百人一首の暗記」に取り組む動機にはなり得ていなかったであろうと推測します。

暗記することはゴールではない

 ただ、これだけは言い切れることがあります。私自身も私の周りにいた人たちも、そしておそらく皆さんも、当時「こんなことを覚えて何の意味があるの?」とは言わなかったのではないでしょうか。意味がわからなくても、和歌を味わう教養が身に付いていなくても、それが「テストのため」であったとはいえ、ここまで「百人一首の暗記」を無意味ととらえることはしなかったです。この点においては、社会環境が変化したからとはいえ、我々大人が反省するべきなのだろうと考えます。
 百人一首に限らず、「役に立つか否か」という考えで情報を判断することの危うさを、我々大人たちは彼らに教えてきたでしょうか。数学でいえば「二次方程式の解の公式」が中学3年生の教科書から消えた理由も、ある作家さんの「二次方程式を解かなくても生きてこれた。二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので、このようなものは追放すべきだ」という声がきっかけになったことはあまりにも有名です(現行の課程では復活しています)。
 中学生たちが発する「こんなことが何の役に立つんだ?」という愚痴を容認してしまうと、百人一首はもちろんのこと、ハーモニカや縦笛だって彫刻刀で作った版画だって逆上がりだって「将来何の役にも立たないからやらなくてもよい」ということになってしまいます。そして怖いことに、「何のため?」「役に立つの?」といった考えが先に立ってしまう思考習慣こそが、20世紀型の学習履歴が産んだ弊害として受け継がれてしまいます。なぜなら、こうした考え方の原点はすべて「それ、テストに出るの?」にあると思うからです。
 だからこそ、21世紀を生きる子どもたちに対しては、「勉強して(暗記して)得た知識を、どうやって役立てるかを意識する」ことが最も大切なのだと、小学生のうちから言い続ける必要があるのではないでしょうか。

子どもへの返答は正解がないからこそ難しい

 知識は頭の中にいれただけでは何の役にも立ちません。いつ、どこで使うのかは誰にもわからないけれど、とっさのときに取り出して使いこなして初めて「役に立った」と言い切れるのです。私のこれまでの人生に百人一首が役立ったことはありませんが、今の小中学生にとっては、10年後・20年後におそらく世界に飛び出していったときに「日本文化を紹介する1ツール」として使えるかもしれません。もしくは外国人のビジネスパートナーや商談相手がコミュニケーションのきっかけとして聞いてくるかもしれません。
 「カルタ」というゲーム形式にして、楽しみながら日本の古典文化を継承できるように工夫した先人の知恵を、どこかで活かす機会があるかもしれません。そんな機会はやってこないかもしれないけれど、グローバル社会、情報化社会なのだから、間違いなく80年代90年代よりはその可能性が高くなるでしょう。その「1回」に遭遇したときのために準備しておくことこそが、広い意味での「21世紀型の教養」なのだろうと私は思います。
 しかしながら「こんな理由では通じないだろうな」という想いもあります。それをも含めて私なりの中学生への返答を考えてみました。
 コンピュータの世界では、今日最先端のことでも明日は最先端ではなくなる。勉強でいうなら、今すぐに必要な知識や公式、テクニックは、テストが終われば忘れてしまうだろう。つまり、いますぐに必要な知識はいずれ必要じゃなくなるんだ。でも、百人一首は平安時代から受け継がれている日本の文化だ。三平方の定理だって月の満ち欠けだって、ずっと昔から人間は使ってきた。たかだか十何年しか生きていない者にはまだわからなくてもいいと思うが、受け継がれるに値する明確な理由があるから21世紀になっても必要とされるんだよ。なぜ必要なんだ? と納得がいかないなら、その理由を大学で研究したらいいじゃないか。

 我々が子ども時代を過ごした70年代80年代を「暗記全盛時代」とするならば、今は誰でもスマホで検索すれば済む時代ですから、昔でいうところの「物知りハカセ」の価値は暴落しているところでしょうか。だからこそ学校の勉強でも「思考力・表現力」が求められ、自分が得た知識をどのように活用すればよいのかのトレーニングが重視されています。もちろん土台となる知識は持っておかないといけませんが、その知識を組み合わせて相手に説明する「構成力」を養うことを並行して行うのが、今の小中学生における一大テーマなのです。そんな時代の変化にも負けず百人一首の暗記が続くとしたら、それこそが「いとをかし」ということなのかもしれません。

vol.93 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2016年1月号掲載

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